去年か一昨年かな?今年の初め頃だったかもしれないけど、
『自分に起こった出来事は自分が体験したくてしたこと』とか
『生まれる前に自分の課題は決まってる』とか
『神は乗り超えられる試練しか与えない』とか
その手の言葉に対して、ふっっっざけんなできっかそんなもん!って思ってました。
頭ではわかってる。けど・・・
言わんとしてることはわかるんですよ。でも何というか、辛さの最中にいるとつっら!としか考えられないですか?わたしはそうです。
考えられたとしても
①つらい
↓
②何故つらいかを考える
↓
③つらさの原因と過去の特大のつらい出来事を関連付ける
↓
④ひたすらつらい
みたいな感じ。
ありがたい事にわたし自身、周りの人に褒めていただいたり、期待していただける事が割と多かったりして。
それ自体はとても嬉しくありがたいものですが、それを自分の自信の元にしてしまうとどうにもならない時に本当にどうにもならなくなってしまう。
どうにもならない時ってすなわち、独りで何かを乗り越えるべき時なことが多いから。
何度も同じことを繰り返すのはもうイヤだ
そんなことを強く思ったときに出会った言葉『執着を取る』
(わたしは悩み事があると、Google検索やTwitter検索をものすごくしつこくする性質があります)
発信してる人のブログのカテゴリ一覧を読みました。
ブログ内では執着ってわかりやすく表現してるけど、仏教で言う苦しみなのかなーと思った。四苦八苦っていう四文字熟語の元ネタね。
生苦 - 生まれること。
老苦 - 老いていくこと。体力、気力など全てが衰退していき自由が利かなくなる。
病苦 - 様々な病気があり、痛みや苦しみに悩まされる。
死苦 -死ぬことへの恐怖、その先の不安。愛別離苦(あいべつりく) - 愛する者と別離すること
怨憎会苦(おんぞうえく) - 怨み憎んでいる者に会うこと
求不得苦(ぐふとくく) - 求める物が得られないこと
五蘊盛苦(ごうんじょうく) - 五蘊(人間の肉体と精神)が思うがままにならないこと(Wikipediaより)
わたしの苦しみは自分以外の人やものごとでな無く、わたし自身が生み出している、だったらそれを生まなくなる方法を教わろうではないかと思い、先日から執着を取る心理療法をはじめたのでした。
自分の感情を感じることに苦労した初日
心理カウンセラーのえびさんのとこに行ったとき『最近、困ったことは起きましたか?』って聞かれて、反射的に「いやー特に無いんですけど」って返してた。
そんなはずはない。何も無かったらお金を払って相談しに行くはずがない。と思い、少し前にとても腹が立ったことを話したんです。
そこから何でそう思うのか?問題の根底にあるのは何か?っていうのを説明してもらって自分の課題がわかった。
えびさんは「自転車の乗り方を教えてる」と例えてた。まさにそんな感じで、繰り返していくと自分の頭で、身体で、力でもって問題とされてることに向き合える。
リピートの予約を入れるのも、問題を解決したいというよりかは、自転車にひとりで乗れるようになるため、自転車に乗った世界を見たいっていうのが大きいかな。そのうちそういう事すら思わなくなるんだろな(当たり前になるから)
そして、こういった習い事や相談にありがちな「講師や相談相手から好かれたい、特別扱いされたい」みたいな気が起きないのも良い。もちろん起こることもあるけど、それの危険性についても早々にちゃんと説明してくれた。
たんたんと向き合い観察する
夢がかなうノートマジック♡とか引き寄せしちゃお☆とかそういうキラキラふわっとしてて優しいもんでもないし、時には自分のエグさとかを思い知りますが、起きた出来事からそこに自分のどんな感情が潜んでいるか?を観察して考察、執着を取っています。
こんな感じ
割り勘が気軽!でも気乗りしないところに誘われるんだったら自分でお金を出したくない・・・みたいな考え方に入ってた執着がこれ。全くめんどくさい女だぜ!(好き)
ノート術とか日記って今まで続いた試しがなくて、しばらくすると昔書いてたものを読み返すの何か嫌になってたんですけど、そうなる原因が、そもそも嘘ばっか書いてたのではと何となく気がつきました。誰がいつ読んでも大丈夫なように取り繕ってたし、そもそもそこに書いてある望みそのものが心から望んでるものじゃなかったりね。
ノートも表紙を好きな紙を入れてカスタムして、見るだけで良い気分になるようにしました。
このノートがいっぱいになった時に自分はどうなってるんだろね。
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