大きな災害が起きた時に「これは浄化です」とかとてつもない悲しみの中にいる人に「あなたの学びのためにそれは起こったんだですよ」とか、たまに見かけますね。
言いたい事はとてもわかるし、もしかしたらそうなのかもしれない。だが部外者は黙ってろよ、と思ってます。
例え話ですが、お気に入りの洋服に汚れをつけてしまったとします。
汚れがついた時、アイツが悪い!って怒ることもあれば、気をつけてない自分が悪かったんだ…って自分を責めることもあれば、汚れがつくような環境にいることに気がついたり、汚れがつかないように気をつけよう、って思ったりしますよね。
汚してしまってショックな時に他人から「これで学習したでしょ?」とか言われたらムカつきませんか?
もしくはショックだけど泣いたり騒いだりするのは恥ずかしいから平静を装って「次回以降は失敗しないで済むね、失敗は成功の母⭐︎」とか言ってる時に他人から「いやー人生で起こることは何でも学びだよね」とか言われたらお前は空気を読むという学びをしろよ!ってムカつきませんか?
まーここには"空気を読むべき"っていうエゴが隠れてますがそれはさておき、当事者しかわからない痛みに対して、わかるよ〜でもそれらはあなたのために起こってる事だよ!って安易には言いたくないなって思ってます。だってウザいじゃん。お互いに。
ポジティブシンキング結構しかし罠もある
ネガティブ思考からポジティブ思考に切り替えられるようになることはとても大事です。ポジティブな想像は心を豊かにするし、未来への希望が拓けます。
さっきの話で言うと、服が汚れてしまったという現実に対して「人のせいで汚れた!」と怒ったり、自分を責めたりするのはネガティブな思考です。
ネガティブの逆はポジティブです。「これで次汚さないようになったな」はポジティブな思考です。ではこれが正解なのか?というとまたちょっと違くて。
先ほどの例を挙げますが、他人から学びだよね~とか言われたときにムカついたり悲しくなったりしたのならそれは根本的な解決になっていません。
ネガティブとポジティブは植物で例えるのなら、ポジティブは根っこでネガティブは地上に出ている部分です。
草をむしった時、根っこまでとれていないとまた生えてきますよね?
ネガティブに気がついてポジティブシンキングをして思考を切り替えたとしても、そのポジティブの裏に潜むネガティブから芽が出てきます。
ネガティブとポジティブは表裏一体なのです。
ではベストな状態とは?
「起きた事実に対してただ対応する」です。
服が汚れたら→石鹸で洗おうかな、とかクリーニングしようかな、とかだけ。
ただ服がよごれただけの状況を、ただ何とかしようとするだけ。
そこにはムカつくとか、悲しいとか、嬉しいとか、いいなとかの感情はありません。
そこにあるのは静寂です。
エゴや執着を取っていくと自分の心が静寂になります。
人間の執着はおよそ3,000個あると言われているので一度では無理ですが、繰り返し取っていくことが静寂に近付くということです。
これが良いのか?悪いのか?はもちろん個人の自由です。
信じたいものを採用すればいいと思います。
ただいまモニターセッションを募集しております。
詳細は下記リンクにありますので、よろしかったら読んでみてくださいませ。どうぞよしなに。
-----
水野アキの成分分析
ウォンバット大好きウォンバットかわいいウォンバットおしゃれウォンバットあいしてる