ウォンバットのうきうきくらし手帖

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変態としての自負にこだわってるうちはノーマルなのではないかというはなし



完っ全にひとりごとレベルなおはなしなんですけどね。

20代のとき、合コンや飲み会でよくかわされる、「Sなの?Mなの?」っていう話題がとても苦手でした。

だいたい、自分でSっていう人は「自分がしたいようにしたい」っていうような、それ単なるワガママじゃないのっていう人が多かったし、わたしの場合は自分が絶対的にどちらという事はなくて、相手によってそういうのは変わったりするものだと思ってたし、そもそも、パートナーと自分の2人の間でしかわからない常識っていうやつを何故他人に披露しなければならぬのか、と思ってた。

当時、何でそんな話せにゃならんのだって同じようなことを言ってる友だちと夜通しそういう話をしたりてました。

 

で、話してると、変わった趣向を持っている友人ほど、自分のことを変態とか言わないんですよね。
「そういう趣向をもってる人」って感じでサラリと話す。

 

自分を変態だって言ってる人ってその部分にアイデンティティを求めすぎっていうか、強く言っていればいるほど自分が普通であることを気にしてるように見えてしまう。別に変態を自称するなという話ではなくて、がんばって自分にタグ付けする必要ないんじゃないかなぁと思うのですね。もちろん、変態を自称してて本当に変態で、変態を謳歌してる方もたくさんいらっしゃいますし。

 

後日談ですが。

飲み会・合コンで交わされる「SかMかとか、俺/私、変態だから」っていう会話にもはや憤りすら感じていた我々だったのですが、ある時、スーパーリア充でコミュニケーション能力がズバ抜けている友だちから『そういう話題って、趣味思考について語りたいとかじゃなくて「今日は良い天気ですね」っていう軽い挨拶なんだとおもうよ』って言われて衝撃的でしたね。

 

えっあいさつ・・・?!そんな人間の深い部分がわかってしまう話があいさつで交わされてしまうの?!!って思いました。


こう思ってしまうのは、後にわたしが、人間関係についてネッチョリ濃厚に考えすぎる性質だからっていうのがわかったのですが、会話の仕方って色んな方法があるんだなって思えた一件でした。

 

SMと言えば甘詰留太先生の『ナナとカオル』

マンションの隣同士に住む、幼馴染の高校生がちょっとしたきっかけにより「息抜き」と称してプレイをしてゆく内容なんですが、この2人の関係が不器用で危なっかしくて、ピュアでとても良いのです。

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◆この記事は水野アキが書いてます